論文セレクション

オープン・イノベーションで
「死の谷」に橋を架ける

ヘンリー W. チェスブロウ

『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2017年8月の注目著者は、カリフォルニア大学バークレイ校ハース・スクール・オブ・ビジネスのヘンリー W. チェスブロウ教授です。

「イノベーターのジレンマ」を体験する

 ヘンリー W. チェスブロウ(Henry W. Chesbrough)は、現在61歳、カリフォルニア大学バークレイ校ハース・スクール・オブ・ビジネス(以下、バークレイ)の教授(Adjunct Professor)であり、同校のインスティチュート・フォー・ビジネス・イノベーションに所属する、ガーウッド・センター・フォー・コーポレート・イノベーションのファカルティ・ディレクターでもある。同センターでは、大企業のエグゼクティブ向けにオープン・イノベーション・セミナーなどを定期的に開催している。

 オープン・イノベーションの伝道者となるまでのチェスブロウの人生には、共感することが多い。

 チェスブロウは、1979年、イェール大学で経済学を専攻し、優秀な成績(summa cum laude)で卒業すると、大学院には進学せず、コンサルタント会社のベイン・アンド・カンパニーにアソシエイト・コンサルタントとして入社した。ただ、MBA保持者ではないチェスブロウの担当分野は、眼鏡、農薬、ナイロン原料産業であり、しかもコンサルタントとしては補助的作業が主であった。

 1981年、MBAを取得するためにベインを退社し、スタンフォード大学ビジネススクールに入学した。1983年、同ビジネススクールを修了すると、コンピュータの記憶装置として脚光を浴びていたハード・ディスク・ドライブ(以下HDD)のベンチャー企業であった、クアンタムに入社し、1990年まで在籍した。チェスブロウは、同社では最終的にはマーケティング・事業開発担当ヴァイスプレジデントとなった。

 1980年に設立されたクアンタムは、1979年に設立されたシーゲートと同様、IBMサンノゼ研究所やメモレックスなどの退職者によってミニコン用のHDDの開発・製造を目的に設立された。シーゲートが、8インチHDDに対する破壊的イノベーションである、5.25 インチHDDの開発・製造が目的であったのに対して、クアンタムは、当時主流であった8インチHDDを、独自のサーボ技術という持続的イノベーションによって低価格化を実現することを目的としていた。

 クアンタムは、シーゲートと互換性のある5.25インチHDDに遅れて参入したものの、1985年には、シーゲートに次いで業界2位の地位を獲得。5.25インチHDDは元々、ミニコン用を目的していたが、実際にはデスクトップPCに採用され、デスクトップPCの普及とともに驚異的な成長を見せた。しかし、その間、1984年にロダイムによって、5.25インチHDDに対する破壊的イノベーションである3.5インチHDDが開発されていた。さらに1987年には、シーゲートから独立したコナーにより、3.5インチHDDが本格的に市場導入された。3.5インチHDDは当初、デスクトップPCには受け入れられず、ラップトップPCやポータブルPC向けであったが、5.25インチHDD市場であるデスクトップPCの記憶装置として次第に代替するようになった。

 チェスブロウはまさに、破壊的イノベーションによって後発者が先行者の地位を奪取する、1980年代のHDD業界における激動を体験したことになる。5.25インチHDDで劣勢に回ったクアンタムが復活するのは、1994年、経営陣を刷新し、松下寿電子(現パナソニック・ヘルスケア)と技術提携して、3.5インチHDDを大量生産することで高品質・低価格を実現し、アップルをはじめとするデスクトップPCメーカーに納入するようになったときであったが、チェスブロウはすでに同社を去っていた。

 チェスブロウは、1990年にクアンタムを退社・独立し、コンピュータ企業向けのコンサルティング・サービスを目的としたコンサルタント会社である、チェスブロウ・アソシエイツを設立するが、1993年にはバークレイのPh.D.プログラムに入学した。その後、スクール内で教授陣のリサーチ・アシスタントやリサーチ・アソシエイトの仕事をしながら、1997年にPh.D.プログラムを修了。同年、ハーバード・ビジネススクールのアシタント・プロフェッサーとして採用された。そのとき、チェスブロウはすでに41歳を迎えていた。

イノベーションを生み出す
組織デザインとは何か

 チェスブロウの問題意識は、イノベーションこそが競争優位の源泉であり、企業はいかにイノベーションを実現するか、そして、イノベーションを阻害する産業界の一般常識や意識を変えることにあった。

『Harvard Business Review(ハーバード・ビジネス・レビュー)』(以下HBR)誌に掲載されたチェスブロウの最初の論文は、監修者であったデビッド J. ティースが共著者として名を連ねた、“Organizing for Innovation: When is Virtual Virtuous?,” with David J. Teece, HBR, January-February 1996.(邦訳「バーチャル・コーポレーションの危険な幻想」1996年4・5月号)である。チェスブロウは当時、Ph.D.プログラムに在学中であった。

 実は、前年の1995年、HBRにイノベーターのジレンマに関する論文である、Bower, J. L., and C. M. Christensen. "Disruptive Technologies: Catching the Wave," HBR,  January–February 1995.(邦訳「イノベーションのジレンマ」DHBR2009年4月号)が発表されていた。なお、チェスブロウがハーバード・ビジネススクールに採用された1997年には、クレイトン M. クリステンセンのThe Innovator's Dilemma, 1997.(邦訳『イノベーションのジレンマ』翔泳社、2000年)が出版された。

 その当時、企業が事業環境の急速な変化に柔軟に対応できるように、組織内のほとんどの機能をアウトソーシングしてバーチャル組織化することが喧伝され、産業界では一般常識化していた。バーチャル組織とは、おのおの自由な事業体が集まって、協働で事業を行う場を形成し、そこでさまざまな事業活動を行う集合体である。組織がダウンサイジング化する一方、コントロールが困難なバーチャル組織での技術開発の方向性は、個々の思惑で定まらず、むしろ最初の顧客の反応を最大限に取り入れようして、結果的に開発は遅れる、という欠点が存在する。

 たとえばHDDであれば、小型化と高記憶容量化の実現は、HDDを構成する磁気ヘッド、プラッタ(ディスク)、モーターなど、それぞれのイノベーションに依存する相互依存型のイノベーションであった。このように自社の製品が相互依存型のイノベーションを必要とする場合には、バーチャル組織に依存することはむしろ危険である。

 バーチャル組織は、自社にとってのイノベーションのタイプが技術の相互依存性の少ない製品完結型であり、かつ社外の製品開発力を利用できるときに限定すべきであり、それ以外の場合には、競争優位の確立に不可欠な製品開発能力を組織内に注意深く育てていくべきでないか。チェスブロウはそう主張した(図1参照)。これは、彼のクアンタムでの思いが何か感じられる論文である。

図1:イノベーションのタイプと開発能力

ベンチャー企業の成功を導く
支援体制とは何か

 従来、ベンチャー企業の創業を支援する体制としては、投資家から資金を集めてベンチャー企業に出資する独立系のベンチャー・キャピタル(VC)と、大企業の組織内に設立されたコーポレート・ベンチャー・キャピタル(CVC)が存在していた。

“Networked Incubators: Hothouses of the New Economy,” with Morten Hansen, Nitin Nohira, and Donald Sull, HBR, September-0ctober 2000.(邦訳「ネットワーク・インキュベーション」DHBR 2000年12月号)では、ベンチャー企業の上場(IPO)後における独立系VCのサポートの限界を指摘し、IPO後も企業間のネットワーク機能を活かして、ベンチャー企業を継続的に支援して成功を導く「ネットワーク・インキュベーター」の重要性を述べている。

 また、“Making Sense of Corporate Venture Capital,” HBR March 2002.(邦訳「事業会社のベンチャー投資戦略」DHBR2002年8月号)では、その問題意識として、CVCの投資が景気動向によって著しく変動し、ベンチャー企業の創業を阻害することになっていることを指摘した。

 CVCの投資が継続的でない理由は、ベンチャー企業に対する投資目的が、戦略的に自社の開発能力の補完なのか、先行投資なのか、新規事業の探索なのか、財務的に収益を目的としているのかが曖昧であることが問題であり、投資目的を明確にすることが重要であると主張した。

オープン・イノベーションを提唱

 チェスブロウが、イノベーションを生み出す生産的な仕組みとしてオープン・イノベーションの必要性を主張したのが、“A Better Way to Innovate(Open Innovation, How Companies Actually Do It),” HBR, July 2003.(未訳)である。書籍として、Open Innovation, 2003.(邦訳『OPEN INNOVATION』産業能率大学出版部、2004年)を出版した。

 同年、チェスブロウはバークレイに准教授(Adjunct Professor)として迎えられ、2005年に正教授(Full Adjunct Professor)となった。オープン・イノベーションの環境において、企業はどのようにそれを活用して、その真価を発揮させるために何をすべきか。特に知的財産権の活用について検討し、Open Business Models, 2006.(邦訳『オープンビジネスモデル』翔泳社、2007年)を出版した。

 イノベーションは、研究開発プロセスを組織内に囲い、コントロールしなければ生まれない。しかし、イノベーションを生み出す可能性を持つどんな斬新なアイデアも、企業の経済的や財務的な理由や、あるいは「イノベーターのジレンマ」による判断で棚上げされたり、中止されたりする恐れがある。開発者には、危険な「魔の川(Devil River)」や「死の谷(Valley of Death)」を越えることが求められていた。

 オープン・イノベーションには、アイデアや知識が外部から流れ込み、新製品や新たなビジネスモデルを創造する流れと、企業内部からあふれ出て、外部の知識や資金を得て新たな価値を生み出す、2つの流れがある。チェスブロウは、 “How Open Innovation Can Help You Cope in Lean Times,” HBR, December 2009.(邦訳「『インサイド・アウト型』オープン・イノベーション」DHBR2010年10月号)の中で、後者の流れの必要性を述べた。

 それは不況期の経済的な理由で、開発中止を余儀なくされ、まさに「魔の川」や「死の谷」の淵に立ったプロジェクトに橋を架ける主張であった(図2参照)。

図2:インサイド・アウト型オープン・イノベーション

オープン・サービス・イノベーションに向けて

 HBRでは毎年、今後に注目されるキーワードを識者に聞いている。

“Toward a Science of Services,” in Breakthrough Ideas for 2005, HBR, February 2005.(邦訳「2005年のパワー・コンセプト(下)」DHBR2005年6月号内「『サービスの科学』を拓く」)において、チェスブロウが提示したキーワードは「サービスの科学」であった。そこでは、GEやIBMが製造業からサービス・ビジネスモデルに転換するなか、サービス・イノベーションについての問題点を指摘し、サービスに対する研究が独立した学術分野になると予測した。

 その後に出版したOpen Service Innovation, 2011.(邦訳『オープン・サービス・イノベーション』阪急コミュケーションズ、2012年)は、オープン・イノベーションをサービス領域に適用する研究成果である。今日のグローバル競争の環境において、単に製品中心のイノベーションを行うだけでは持続的な競争優位は得られないことを前提とし、サービスでビジネスモデルを転換する必要性を主張した。

 知識の存在がグローバル化する一方、競争環境が急速に変化する現代にあって、クローズド・イノベーション・システムにより、企業が単独で競争優位を獲得するのが困難な時代を迎えている。その状況を反映し、新たなイノベーションの創発システムとして「ビジネス・エコシステム」「オープン・イノベーション」、あるいは「産業コモンズ」といったイノベーションの協働システムが主張されるようになった。

 チェスブロウは、クアンタムで体験したイノベーターのジレンマについて直接的に語ることはなかった。ただ、オープン・イノベーションという主張は、従来、経済的理由や技術が未熟であることを理由に切り捨てられたり、棚上げされたりする恐れのあった「破壊的イノベーション」の技術開発を、生き残らせる方策を導き出した。それはまさに、クアンタムでの体験から生まれた発想のように思える。

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