経営戦略を浸透させる:
人間への理解がもたらす組織の前進

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なぜ、同じ「経営」をテーマとしながらも、経営の実務と学問としての経営戦略の間には、これほどまでに大きな隔たりが存在するのか。本連載では、長く実務の世界に身を置きながら、学問としての経営学を探究し続ける、慶應義塾大学准教授の琴坂将広氏が、実務と学問の橋渡しを目指す。第10回は、人間の本質をより深く掘り下げる。「人間は合理的である」という前提に疑問を投げかけることで、経営戦略を現実の組織でいかに浸透させるかの議論を進める。

 前回は、数値管理をどのように考えればよいかについて、管理会計を源流とする考え方からひも解いた。これは全社の目標を財務的、非財務的数値に落とし込み、それを因数分解して組織の隅々まで接続することで、数字を軸に組織を一体化させることを目的としていた。

 今回は、もう少し「人間」に着目してみたい。経営戦略を実行するのは、最終的には(いまのところ)人間である。我々がどのような意思決定を重ねているのか、そして、それをどのように方向付ければよいかを考えることから、経営戦略を浸透させるために必要な土台、土壌について議論する。

 ただし、それはあまりに深遠なテーマであり、すべてを語り尽くすことは不可能である。今回はあくまでその導入として、組織を研究する際に理解すべき基本的な概念に触れ、近年研究が進むセンスメイキングや新制度派組織論などを簡潔に紹介する。そのうえで、マネジメントからリーダーシップにその焦点が移り変わる、現代の組織管理について考えたい。

完全に合理的な意思決定はできない

 人間は、みずからの行動をどのように決定するのだろうか。この根源的な問いに対しては、さまざまな角度から多様な調査研究が進んできた。

 前回紹介した管理会計の系譜とともに、戦後、急速にその研究が進んだのが、組織論や組織行動論と呼ばれる研究領域である。これは組織が人間の行動にどのような影響を与えるのか、また反対に、人間の行動の集合体である組織がどのように行動するかを探究する学問領域である。

 この研究の最初の礎を築いたのは、経営学のみならず、多様な研究領域に影響をもたらした、ハーバート A. サイモンの論考であろう。サイモンはそれまでの経済学が前提としていた「合理的」な人間像を現実に照らし合わせて発展させた。

 遡れば、第3回で紹介したフレデリック・テイラーや、エルトン・メイヨーの研究は、このさらに上流に存在する。同様に、チェスター・バーナードによる『The Functions of the Executive(経営者の役割)』(1938)[注1] は、経営組織を個人の協働によるシステムとして捉えた優れた作品であり、サイモンの理論構築に大きな影響を与えている。

 サイモンが1947年に出版した『Administrative Behavior (経営行動)』[注2]は、彼の博士論文を原典として、それ以降における、自身の研究の礎となる作品であった。この作品は、人間が「合理的」であることは否定しないものの、人間は完璧ではなく、その認知能力、処理能力、持てる時間に制限が存在するがゆえに、人間は限られた合理性しか持ちえないと説明する。

 これは「限定合理性」と呼ばれる人間の一つの本質である。彼はこの概念を主軸とした組織の意思決定プロセスの研究などから、1978年にノーベル経済学賞を受賞している。

 サイモンは、これまでの組織行動に関する議論が、人間一人ひとりの意思決定の特性を十分に勘案しておらず、また、それぞれにおける相互の関係の分析が、職能や権限により規定される公式の組織構造の分析に過度に依存していると批判した。

 彼は、組織を限定合理的に行動する人間が役割を分担して相互関係を持つシステムと捉えた。その行動は、人間の意思決定の特性と、相互の関係の特性に左右されると主張する。つまり、人間は完全に合理的な意思決定をすることはできない。限られた時間で、限られた情報を前提に、しかし合理的に最善な答えを探し求める。人間は最高の答えに至ることはできず、常に最善な答えをもとに行動を決めているという。

 また、人間同士の関係はそれぞれのコミュニケーションと関係のパターンによって確立され、公式の組織構造のみでは、その特性を完全に捉えることはできない。組織の行動はより複雑な調整のプロセスにより決定されており、その調整のプロセスが個々人の意思決定を統合し、より高次元の意思決定を可能にするとサイモンは言う。

 サイモン自身も、合理性では説明しがたい要因が人間の行動に影響を与えることは否定していない。心情であったり、倫理観であったり、そうした価値的な要素も、人間の日常の行動には大きな影響を与えうる。しかし彼は、組織に所属し、その枠組みの中で活動する人間は、組織がその行動を制約するがゆえに、より合理的に行動する人間となるという。

 すなわち、経営人あるいは組織人としての人間の行動は、一定の合理性の上に成るという解釈が可能である。組織は人間の合理性の土台となる。組織の諸制度が個人の価値的な要素を束縛し、個人の行動の選択肢を制約する。さらに、多数の人間による調整のメカニズムが、個々人の価値的な要素を相互に中和することで、組織内の個人の集団は限定合理性を持つ意思決定を下すようになる。

 この前提に立てば、経営者の重要な役割の一つは、経営戦略を実行に落とし込むために、自社の組織に参画する人々が、限定されているとはいえ、合理的な意思決定の結果として、組織の目標達成に資する意思決定と行動をとるように組織を整備運営することである。

 第7回で議論したように、実行と成果に至らない経営戦略に意味はない。したがって、人間の集合体である組織をどう方向づけるかは、経営戦略の領域でも大きな関心事である。こうした人間の行動の特性を理解せずして、経営戦略の実行は成果に結びつかない。

 現代の経営戦略は、サイモンが議論したような組織内部の特性までを取り扱う。実行と成果につながる経営戦略の特性を探究し続けた結果、その研究の潮流は、戦略と組織の接合点までを扱うようになったのである。

 事実、“Microfundations of Strategy”(経営戦略のミクロ的な土台)と呼ばれるような、組織内における個人の行動や個人間の協業に関して、経営戦略を理解するために研究する潮流は、2000年代から大きく広がりを見せている[注3]。これは経営戦略研究の学会である「ストラテジック・マネジメント・ソサエティ」のカンファレンスのテーマとなるなど[注4]、多様な研究者を惹きつけている[注5]

 このように経営戦略研究も、組織内部の要因や、個人の特性を無視できない時代を迎えたのである。

エージェンシー理論は何をもたらしたのか

 一定の合理性を持つ人間の組織内の行動を分析し、その行動特性を理解することから組織運営の最適解を導く。

 それをどのように行えばよいかは、多様な角度から探究されてきた。特に、限定合理性を持つ人間という前提から、この問いを探究する最も大きな潮流は、エージェンシー理論であろう。

 エージェンシー理論は、経営組織をそれに参画する主体同士による契約関係の集合体と捉える。この理論は、当初、株主と経営者の関係[注6]を取り扱うことから形成が進んだが、現在では、経営者と従業員の関係[注7]や従業員同士の関係、そして、その他の利害関係者との関係性までを取り扱う理論体系へと成長している[注8]

 この理論は、プリンシパル・エージェント理論と呼ばれることもある[注9]。なお、委託する主体をプリンシパル、委託される主体をエージェントとして、この両者の関係をエージェンシー関係と呼ぶ。

 エージェントはプリンシパルに対して特定の業務を行う契約を結ぶが、必ずしもこの両者の利害が完全に一致するとは限らない。また、プリンシパルとエージェントが持つ情報量には格差が存在するため、より多くの情報を持つ主体は、より情報を持たない主体に対して優位に立つ傾向がある。そのため、この両者の契約に伴って各種の問題が発生する可能性が生じ、それに伴う費用が経営組織の形態に影響を与えると説明する。

 たとえば、エージェンシー理論で頻繁に扱われる問題は、アドバース・セレクションやモラル・ハザードと呼ばれる。アドバース・セレクションとは、エージェントが不都合な情報を開示せず、プリンシパルがそれを知らずに不都合な契約関係を結んでしまう問題である。モラル・ハザードとは、プリンシパルがエージェントの行動を完全には管理監督できないことから、エージェントがプリンシパルにとって不都合な行動をとる問題である。

 経営者は、できる限り従業員に働いてもらいたい。しかし、従業員は必要以上に働きたくはない(利害の不一致)。経営者は、できる限り従業員の業務を管理しようとする。一方で、従業員の行動を完全に把握することは難しい(情報の非対称性)。経営者は、できる限り売上と利益を成長させたい。しかし、従業員は予算を達成すればそれ以上に努力をしたくはない(利害の不一致)。経営者は、膨大な数値情報を限られた時間で処理しなければならない。一方で、本当に重要な現場の情報は一人ひとりの従業員が握っている(情報の非対称性)。

 エージェンシー理論は、組織運営において避けて通ることのできないこうした問題の悪影響を、モニタリング(管理)とインセンティブ(報酬)の二つの側面から軽減しようと説明する(図1)。

図1:エージェンシー問題への対処例

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出典:筆者作成

 単純化すれば、モニタリングは情報の非対称性を軽減させる取り組みであり、インセンティブは利害の不一致を軽減させる取り組みである。これは、前回解説したバランスト・スコアカードや、KPIの設計と運用にも通じる要素がある。モニタリングにしても、インセンティブにしても、ある程度以上を仕組みに落とし込み、それを組織的かつ継続的に行うことで、合理的に行動する人間の特性を組織的に誘導することが一定程度は可能となる。

 もちろん、モニタリングの仕組みも、インセンティブの仕組みも、組織が目指す方向性にひも付いていなければならない。社員一人ひとりを信頼でつなぐ組織を目指しているのに、過度に社員の行動を管理し、日々の行動を報告させるような組織では、社内の信頼はなかなか醸成されない。顧客満足度を最優先にしているというのに、勤怠評価や報酬制度が売上げのみにひも付いているのであれば、顧客満足度をないがしろにして売上げを追い求める社員が増えても不思議ではないだろう。

 限定的であるにせよ、人間が合理的な選択をして、行動をとることを前提とするのであれば、当然その組織のあり方も、組織の構成員が経営戦略の方向性に照らして合理的に行動する形へとつくり変えていく必要があるのだ。

[注1]邦訳は、『経営者の役割』(山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳、ダイヤモンド社、1956年)
[注2]邦訳は、『経営行動』(松田武彦 ・二村敏子・高柳暁訳、ダイヤモンド社、1989年)
[注3]Foss, N. J. & Pedersen, T. 2016. Microfoundations In Strategy Research. Strategic Management Journal, 37(13): E22-E34.
[注4]https://copenhagen.strategicmanagement.net.を参照されたい。
[注5]Felin, T., Foss, N. J., & Ployhart, R. E. 2015. The Microfoundations Movement in Strategy and Organization Theory. Academy of Management Annals, 9(1): 575-632.
[注6]Jensen, M. C. & Meckling, W. H. 1976. Theory of the Firm: Managerial Behavior,. Agency Costs and Ownership Structure. Journal of Financial Economics, 3(4): 305-60.
[注7]Ross, S. A. 1973. The Economic Theory of Agency: The Principal's Problem. American Economic Review, 63(2): 134-39.
[注8]Jensen, M. C. 2000. A Theory of the Firm: Governance, Residual Claims, and Organizational Forms. Harvard University Press.
[注9]厳密には、株主や債権者などの外部者と経営者との関係性など、企業の所有権の実態に主眼を当てて研究する系譜を実証的エージェンシー理論と呼び、企業内部における経営者と従業員など、より一般的な主体間の関係性に主眼を当て、より数学的に議論を行う系譜をプリンシパル・エージェント理論と呼ぶことで、両者を区別することがある。
 
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