論文セレクション

物理学研究者の深夜の想いが
エコシステム理論を発展させた

マルコ・イアンシティ ハーバード・ビジネス・スクール教授

『Harvard Business Review』を支える豪華執筆陣の中で、特に注目すべき著者を毎月1人ずつ、首都大学東京名誉教授である森本博行氏と編集部が厳選して、ご紹介します。彼らはいかにして現在の思考にたどり着いたのか。それを体系的に学ぶ機会としてご活用ください。2017年4月は、ハーバード・ビジネス・スクールのマルコ・イアンシティ教授です。

組織の枠を超えた技術統合こそ
イノベーションを生み出す

 ハーバード・ビジネス・スークル(HBS)のマルコ・イアンシティ(Marco Iansiti)は、研究開発、製品開発、イノベーションなどの技術経営論を専門としており、技術マネジメントの教員として栄誉のある、デビッド・サーノフ記念講座教授である。HBSでは、クレイトン M. クリステンセンやゲイリー P. ピサ-ノなど約30名の教員が所属する技術経営ユニットのヘッドを務めており、また全学を横断したデジタル・イニシアティブのリーダーでもある。

 イアンシティは、大学(1983年卒業)、大学院(1988年Ph. D)、ポスドク(1988〜1989)を経て、1989年にHBSに教員として採用されてから今日までを一貫してハーバード大学で過ごした。ボストンでの落ち着いた生活を謳歌する一方、イアンシティほど研究者人生を冒険した人はいない、といわれている。

 HBSに採用される直前までの研究分野は、一貫して物理学であった。博士論文は、低温の実験環境におけるジョセフソン効果[注]をもたらす、「微小トンネル接合素子」に着目した次世代のマイクロエレクトロニクスに関する研究である。ポスドクでも設計・製造の実用化に向けた研究を続けており、経営学とはまったくかけ離れていた。

 イアンシティはなぜ、物理学から経営学へと転身したのか。その真意を直接的に語ることはなかったが、初めて『Harvard Business Review』(HBR)に掲載された論文である、“Real-World R&D: Jumping the Product Generation Gap.,” HBR, May-June 1993.(邦訳「全体最適を実現するシステム・フォーカスR&D」DHBR1993年8月号)を読むことにより、物理学の研究者であった当時の問題意識をうかがい知ることができる。

 

 複雑な技術開発を必要とするハイテック産業の新製品開発は、急速な市場の変化と技術革新に対応した、実用化に向けた技術開発アプローチが必要である。だが、それに対する伝統的なアプローチは、専門的知識を部門ごとに分割して細いパイプラインに閉じ込めてしまっており、知識の相互交流もなく効率的ではない、というのがイアンシティの問題意識であった。イアンシティの主張は、新技術が製品設計とユーザーニーズと一体化するように技術開発プロセス全体が組織内で技術統合する「システム・フォーカス」すべきであり、それによって製品開発の効率化と迅速化を実現させることができる、というものであった。

 この論文が掲載されたHBRには、巻頭論文として、ジェームス F. ムーアの “Predators and Prey: A New Ecology of Competition” (邦訳「企業“生態系”4つの発展段階」1993年DHBR 8月号)も掲載されていた。成功する企業とは、自社組織を超えた、多様な企業にまたがる経営資源を活用した協働的ネットワークである「ビジネス・エコシステム」を形成し、リーダーシップを発揮して急速かつ効果的に相互進化する企業であり、さらに企業間競争はビジネス・エコシステム間競争になるというのが、ムーアの主張であった。

 

 その主張は、イアンシティばかりでなく、協働と競争のコーペティション論やダイナミック・ケイパビリティ論など、1990年代の経営戦略論に多大の影響を与えた。しかし、それは問題意識を与えたものの概念論にとどまり、企業戦略として活用できるだけのフレームワークも提示されてなかったために、実務の世界からはほとんど無視されてもいた。

[注]ジョセフソン効果とは、超伝導体間にトンネル接合(Tunnel Junction)によって超伝導電流が流れる現象である。それを理論として導いたブライアン・ジョセフソンは、江崎玲於奈、アイヴァー・ジェイバーとともに1973年ノーベル物理学賞を受賞している。
 

キーストーンが次世代の戦略コアとなる

 イアンシティを一躍有名にしたのは、2004年にHBRに掲載された論文(ロイ・レビーンと共著)、“Strategy as Ecology.,”HBR, March 2004. (邦訳「キーストーン戦略:ビジネス生態系の掟」DHBR2004年5月号)であった。同論文は、”The Keystone Advantage: What the New Dynamics of Business Ecosystems Mean for Strategy, Innovation, and Sustainability”(邦訳『キーストーン戦略:イノベーションを持続させるエコシステム』〔杉本幸太郎訳、翔泳社、2007年〕)として書籍化されている。

 

 イアンシティの研究の意義は、90年代の概念的な経営戦略論の傾向とは異なり、数値を駆使した分析と事例研究から、ビジネス・エコシステムを「キーストーン戦略」として昇華させ、企業が戦略を思考しやすいフレームワークを提供したことことにある。

 生物生態系のキーストーン種と同様に、ビジネス・エコシステムでは、キーストーン企業が共有財産としてプラットフォームを提供する役割が重要であり、外部資源の管理や外部ネットワーク構造の形成することが求められる。キーストーン企業は、これまでの階層的企業グループ組織とは異なり、ネットワークに偏在する補完財企業の資源と能力を活用して新たな価値を創出し、ビジネス・エコシステム全体の健全性を高めることを通じて生産性や堅牢性、事業創出能力の増大に努めることになる(図1参照)。

図1:ビジネス・エコシステム

 そして、企業がキーストーン戦略を採用すべきか、ビジネス・エコシステムでの戦略の選択は、市場や技術革新の不確実性と補完的企業との相互依存の複雑性で決まる、というフレームワークは、企業に自社の戦略を再考させることになった。(図2参照)

図2:戦略選択マトリックス

深夜の実験室の研究者の想い

 イアンシティは、キーストーン戦略を発表した10年後の2014年、HBSに“Digital Ubiquity: How Connection, Sensors, and Data Are Revolutionizing Business.,” HBR,  November 2014(カリム R. ラカニーとの共著。邦訳「GEが目指すインダストリアル・インターネット」DHBR2014年4月号)を、さらに2017年には、“The Truth about Blockchain” HBR, January-February 2017(カリム R. ラカニーとの共著。未訳)を発表している。

 

 ゼネラル・エレクトリック(GE)が提唱したインダストリアル・インターネットは、オープンでグローバルなネットワークを活用して、高度なセンサーやRFID(ICタグ)を搭載したインテリジェントな産業機器や車両と接続して、収集したビッグデータや解析・予測ソフトウエアを融合させて、製造、交通、エネルギー、医療、建物管理、防災などの主要な産業分野の効率化や生産性の向上を目標としている。

 こうしたデジタル技術が至る所で活用される「デジタル・ユビキティ」の時代にあって、自社の資源だけを組み合わせても顧客に新たな価値を提供できない。企業は、顧客や関連企業にプラットフォームを提供し、デジタル技術と接続性をユビキタスに利用できるようなビジネス・エコシステムを形成することで。経済全体に多大な影響を与えることができるようになる。イアンシティはそのように主張する。

 同氏のこれまでの論文に一貫しているのは、その時代の経営トレンドを反映した最も先進的なテーマを提供していること、そして、組織の枠を超えた相互依存性を発揮し、全体最適をベースとした業態への変革を通してイノベーションを実現することにある。イアンシティは、深夜まで続く物理実験で予測した数値を得たときの感激を語ることがあったが、経営学者としての主張は、物理学研究者であった時の研究室での想いから生まれたもののように思える。

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