継続の価値は、瞬間の価値の連続から生まれる

長く続けることでしか生みだせない価値がある。一方で、続けること自体に価値はない。継続が生み出す価値は、結果論でしかなく、「いま、ここ」に集中することの蓄積でしかない。

変化が大事か、継続が大事か

 英語の「rolling stone」という言葉には「転がる石には苔もつかない」と、定職につかずフラフラしている人を揶揄する意味がある一方、「常に変化を求めて動き続ける」というポジティブな意味もあるそうです。「変わる」ということの価値は一様ではありません。

 日本語の「同じことを続ける」という言葉にも、両面あります。毎日ジョギングを欠かさない、毎晩の読書の時間を欠かさない、どんなに忙しくても丁寧なメールを送るなど、これらの好ましい習慣については賞賛が送られます。

 一方で、「同じことを続ける」が魅力的に思えない場合もあります。同じ仕事を1年間、毎日同じ時間かかってこなしていると、進歩がないとみなされます。30年間、同じ教材で同じ講義を行っているセミナーの価値は低そうです。

 継続の価値とは、日々のごく小さな積み重ねが時間を経ることで、大きな蓄積を産む場合に生まれます。極めて小さな積み重ねは目に見えることもできず、実感することも難しい。英語力が0.001伸びたと実感するのは難しく、そのため大きな成果を得ようとするための日々の小さな積み重ねが続かないことになります。一方で、毎朝同じ時間に電車に乗り会社に行く。これ自体は「同じことを続ける」価値をまったく持ちません。

今年最初のハーバード・ビジネス・レビューでは、「続ける力」を特集しましたが、つくづく継続の価値とは何かを考えました。

 特集の中に500年続く、老舗和菓子屋の「虎屋」の社長、黒川光博氏へのインタビュー記事があります。この中で、黒川氏の発言は、編集部の「継続の秘訣」を聞き出そうという質問に対し、想定外のものでした。「長く続けるために実行しているつもりはない」「やるべきことをやってきただけ」「伝統を意識したことはない」など、500年という時間の長さとは無縁と思える発言をされておられます。

 この話を読んで「続ける価値」は目指すべきものではなく、結果としてついてくる価値だと感じました。過去を振り返って、続いた時間の過去に想いをふけるのも、長く続く未来に目を向けるのもナンセンス。よく「伝統とは革新の連続」という言い方をしますが、それさえ陳腐に思えてきました。

 いま、その瞬間に集中すること。その状況に求められる最適解を常に求める。それが昨日のやり方と違えば変え、過去のすべてのやり方が通用しないと思えば新しいやり方を試す。この当たり前の繰り返しが、振り返ってみて「革新の連続」に見えることもあるだけのことなのです。

 続いているよい習慣も「もう3年続けてきた」と過去を振り返る必要はまっくないし、続いた1年先を夢見る必要もないのではないか。「いま」や「今日」にどこまで集中できるか。毎日毎日をそんな新しい発想で過ごすことができれば、結果は自然とついてくるのではないか。

 継続という時間が生み出す価値は、逆説的に、「現在」という瞬間の時間の価値を高めることでしか生まれないと思います。

 インタビュー記事で黒川さんは、次世代に向けて次のように締めくくられます。「その時やるべきことをやること。それさえやってくれれば、虎屋は時代に相応しい形で続いていく」。(編集長・岩佐文夫)

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