未来の予測は客観的に、行動は主観的に

未来を予測するとは、必ずしも潮流に従うことではない。現実を直視しながら、訪れる未来に対しプロアクティブに行動する意思を併せ持ちたいものである。

事実を見る目と行動する意思

 今日発売のDIAMONDハーバード・ビジネス・レビューは、「未来を予測する技術」という特集をしています。この中で、統計学者の神永正博さんは「数十年単位の社会データで予測できることは、人口くらい」という趣旨のことを書かれています。人口動態は出生率と死亡率の推移から、大数の法則が働くので予測の精度が高いのです。しかし、ほとんどの事象は、どれだけ過去のデータを駆使しても、予測できることは少ないと書かれておられます。いくつかの事例とともに語る統計学者の主張には、さまざまな示唆があります。

 その人口動態ですが、今日の少子高齢化、そして人口減少社会の到来は、30年以上前から予測できていた。それにも関わらず社会改革は後手に回っているのが現状です。

 これで政府の政策を批判したいのではありません。むしろ、我々は未来を洞察したいと願いながらも、確立の高い「見たくない」未来に対しては、正面から対峙するのが苦手なのではないでしょうか。

 予測とは、現実を直視することと同義のように思えます。「人は見たいものしか見ない動物」という言葉がありますが、自分の願望や思い、あるいは経験がバイアスとなって、都合のいい事実は信じられるものの、都合の悪い事実にアテンションを注ぐのが得意ではありません。

 数年前、新聞社の編集委員の方と話していて「最近の大学生は新聞を読まない。どうかしている」と嘆いておられましたが、違和感を覚えました。若い人が新聞を読まなくなった現実は、その通りだと思います。その現実に対して、提供者側は、まず「なぜ」を問うことが現実に対峙することではないか。学生を主観で批判したところで問題解決にはならず、新聞として将来に向けた行動につながりにくいでしょう。

 一方で、新聞社に勤める人にとって当たり前ですが、「若い人に読んでほしい」という思いが強いのはよく理解できます。自分たちのつくっているコンテンツに自信があるからこそ、それを読んでほしい。ただし、読まれなくなった現実には、作り手の意図や思いとは別の客観的な事実があるのです。

 社会は残念ながら、一人ひとりの思うような方向に動かないものです。人がコントロールできる範囲は限られており、大きな趨勢に抵抗することはできないのが歴史の事実です。だからこそ、客観的に状況を把握する力こそ、未来を見る力につながるのです。

 その一方で、客観的に予測した未来に対し、どう対峙するか。世の中の動きには太刀打ちできないと受け身に回るだけというのも、癪です。これからのメディアはスマホが主流になると客観的に判断し、だから「スマホ最適化」という打ち手だけではあまりにリアクティブ過ぎる。トレンドを予測し追随することだけが正しい未来への適応とも思えないのです。

 そこに主観があってもいいのではないか。現実や予測された未来に対し、自分の意思を持って対峙していくこと。そして人々の意思の総和によって、未来は変わっていくものです。未来への主観のない追随は夢がない。客観的に現実や未来を観察して、主観的に行動する。こんな未来との対峙をしたいものです。(編集長・岩佐文夫)

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