身体の健康が心も健康にし、
書の常識を覆す発想を生む

——書家・紫舟

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現代社会は、日々、生産性の向上が求められている。しかし同時に、新しい何かを生み出す「創造性」もビジネスパーソンには不可欠である。本連載は、新たな価値を提供し続けるトップクリエイターに、創作の過程で不変とするルールを語ってもらうことで、その源泉を探る。第6回は書家の紫舟氏が登場。(写真/鈴木愛子、編集協力/加藤年男)

心の弱さを乗り越えて
自分にとっての正しい道を選ぶ

紫舟(シシュー)
書家
日本の伝統的な書を、書画・メディアアート・彫刻へと昇華させ、世界に日本を発信している。作品は、世界から高い評価を受け、フランスの国民美術協会から日本代表アーティストに選出、ルーブル美術館 Carrousel Du Louvreでの展示全作品(書画・彫刻)で金賞受賞。またフランスを代表する美術館や博物館の審査員による最高位金賞も同時受賞(2014)。翌年は同展で日本人では横山大観以来となる主賓招待アーティストとしても作品発表。芸術の聖地で、書がフランス絵画をおさえ審査員全員一致で最高賞に認められたことは、日本の文化が芸術の域にあること証明した。NHK中央放送番組審議会(2010~2014)、大阪芸大教授(2013~)。内閣官房伊勢志摩サミット・ロゴマーク選考会審議委員(2015)、ミラノ国際博覧会日本館プロローグ担当クリエイター(2015)。

 書家になろうなんて、十代のときは考えたこともなかった。

 幼い頃から書を始めたことで、人より多少はうまく書けていたとは思うが、当時は「やらされている」という意識ばかりが先行していた。そうして私は、大学入学を機に書から完全に離れることを決めた。大学卒業後も書の世界に戻ることはなく、普通の会社で普通のOLとして3年間働いた。職場にも恵まれ、大きな不満のない日常生活を過ごせていたと思う。

 しかし同時に、自分の人生はこれでいいのか、自分にはもっとやるべきことがあるのではないかという疑問も日ましに大きくなっていった。それまでの私は、ただふわふわと流されるままに生きてきただけで、自分にとって大切なことを自分で決めるということがなかったと気づいてしまったのである。その思いが極限に達した瞬間、自分の人生をじっくり見つめ直してみたくなり、誰にも相談しないまま会社を辞めて、アパートに独りひきこもった。

 さすがに、そんな私を見た母は心配したようだった。そのとき、母から言われたことは二つ。一つは、「朝起きたらパジャマから着替えなさい」。もう一つ言われたことが、「日に一度は外出しなさい」だった。何もすることがない私は、一日中パジャマを着て家で過ごすイメージが母にあったのだろう。当時の私の何でも面倒くさがり、すぐに諦める性格をよく知り尽くした、母からのメッセージだった。

 私は母の言いつけを素直に守り、朝起きたらすぐに着替えをして、昼間は短い時間でも外に出るようにした。そうして外に出ると一生懸命働いている人の姿が自然と目に入って来る。でも、いまの自分はどうか。何もすることがなく、自分が世の中の何の役にも立っていないことを痛感させられ、情けなかった。

 限られた人生で自分が何をすべきかと向き合う時間は、誰にとっても非常に苦しいことではないだろうか。どんな答えが出るかわからないし、そもそも答えが見つかるかどうかもわからない。そこから逃げ出して、以前のようなOL生活に戻れたらどんなに楽だろうかと、何度思ったかわからない。

 幸いしたのは、部屋にこもると決めたとき、100日という期限を区切っていたことだ。100日間は次の職業を決めない、そして逃げないと言い聞かせ、今後どう生きようか、何をなすべきか、自分は何が好きでどんなときに幸せを感じられるのかと、自分自身への問いかけを繰り返した。

 それは、100日が尽きようしたある日のことだった。大げさなように聞こえるかもしれないが、目の前が突然開けて、自分の人生が透けて見えた瞬間が訪れたのである。その先にあったものは、「書家になる」こと。書家こそが私が生まれた理由であり、生まれながら身体のなかにセットされていた天職のように感じた。そう思ったとたん、たちまち身も心も軽くなったことを覚えている。

 6歳で書に出会い、その運命を引き受けるのまでの20年間、きっと気づかないふりをして逃げていたのだろう。それが会社を辞めて自分を見つめ直したことで、背負っていたしがらみのようなものを手放すことができ、本来の自分の道に戻ることができたのだと考えている。

 いま思えば自然な結論ではあるが、当時は自分でも意外に感じた答えだったし、書家になると伝えると両親も驚いていた。それまでそんな心境になれなかったのは、書をやらされていると思い込んでいたことと、嫌だとか、興味がないとか、才能がないなど、思い込みから生まれた自分の感情に支配されていたからではないか。いまなら、そう冷静に振り返ることができる。

 さて、書家になると決めたのはよいものの、どうすれば書家になれるかがわからない。でも、そんなことを考えているうちに、書家はもとより、著述業やイラストレーター、カメラマンといった自由業は、皆自称に過ぎないことに気がついた。資格が必要なわけでなく、他人から認められたからなるものでもない。「私は書家だ」とみずから宣言すればいいだけだ。

 そのため、私が書家になったことを世間に知らせる必要があった。個展をやろうと考えた。そして、知り合いが教えてくれたミニクーパー1台分のスペースしかない大阪の天満のマニフェストギャラリーで個展を開くことにした。

 ただ、そのときは書きたい文字も人に見せたい文字もなく、道具すら手元になかった。ギャラリーのオーナーにお願いに行くとき、何か作品をもっていくのが礼儀だろうと考えた私は、コンビニで書道用具を買って何年ぶりかで半紙に向き合った。最初に書いた文字は、何よりも書き慣れた自分の名前だった。かつて先生に教わった基本は忘れておらず、「まだ書けるんだ」とひとまずほっとしたものだ。こんなかたちで、私は書家としてデビューを果たした。

 最初の個展に出した作品はいまも全部覚えている。メインにしたのは「正」という文字を反転させたもの。自分が正しいと思うことが周りの人たちにとって正しいとは限らない。同じように、周りの人が正しいと言うことも、本当に正しいかどうかは疑わしい。書家になると言ったとき、周囲の人たちから「無理だ」「やめたほうがいい」「食べていけない」など、いろいろとアドバイスをいただいた。そうした言葉を聞くたびに、負けそうになった自分もいる。

 しかし、そんな第三者の声や自分の心の弱さに打ち勝ち、自分が決めた正しい道を進もうとしていることに胸を張り、肩で風を切って生きていこうという意志を込めた。いまから思えば稚拙な作品だが、皆さんにとっての正しいこととは逆かもしれないけれど、私は自分が考える正しい道を歩みます、という自分自身への宣言でもあり、私にとっては特別な意味を持つ作品になった。

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