代わり映えしない日常が無の心を生み、
無の心がひらめきの瞬間をつくり出す

——装幀家・菊地信義

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現代社会は、日々、生産性の向上が求められている。しかし同時に、新しい何かを生み出す「創造性」もビジネスパーソンに不可欠である。本連載は、新たな価値を提供し続けるトップクリエイターに、創作の過程で不変とするルールを語ってもらうことで、その源泉を探る。第3回は装幀家の菊地信義氏が登場。(写真/鈴木愛子、編集協力/加藤年男)

装幀者としての成熟など誰も望んでいない
いま、どれだけ鮮度あるものをつくれるか

菊地信義(きくち・のぶよし)
装幀家
1943年、東京生まれ。1965年、多摩美術大学デザイン科中退。広告代理店などを経て、1977年、装幀者として独立。以来、中上健次や古井由吉、俵万智、金原ひとみなど1万8000冊以上もの書籍の装幀を担当する。1984年、第22回藤村記念歴程賞受賞。1988年、第19回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。

 20代の10年間、私は小さな広告制作会社のアートディレクターとして、広告デザインの仕事をしていた。

 そのときは常に10人くらいのチームで動いていたが、私は元来、チームプレーを楽しめる性格ではない。また折しも1973年にオイルショックが起こって日本経済は大打撃を受けており、「独立して一人でできるデザインの仕事はないか」と考えたことが、私が装幀の世界に入るきっかけである。

 装幀の仕事とは、本の「容器」をつくる仕事である。作家が書いた原稿を納める入れ物づくりだ。広告の世界で言えばパッケージングである。また装幀は、パッケージと同時にポスターでもあり、広告の役割も担っている。書籍の場合は大々的な広告を打てる作品は限られることもあり、彼らは自分で広告をまとって書店に並んでいるわけだ。デザイナーとしてこれほど面白い仕事はない。何しろ、容器もポスターもつくれるわけだから。

 装幀の仕事であれば自分一人でできるかもしれない。かつ、広告制作の仕事よりも面白そうだ。

 ところが、そんな考えは大間違いだった。というのも、装幀は自分でキャンバスを買ってきて、好き勝手にデザインする仕事ではない。キャンパスは人様が用意してくれるものなのだ。著者や編集者から「装幀は菊地にしよう」と言ってもらえなければ、キャンバスそのものが手に入らないのである。

 装幀者は、1冊の依頼が入ると“就職”し、それが完成すると“失業”するという過程を繰り返すしかない。私はこれまで1万8000点の装幀を担当したが、その回数だけ就職して、また失業してきたことになる。

 私はこの仕事を始めて40年になるが、どんなベテランであっても、過去の実績など何の役にも立たない。「いま、どれだけ鮮度のあるものをつくれるか」だけで選ばれる。装幀者が成熟の境地に入ったところで、誰一人として喜んではくれない。

 70歳を超えたいまも、私は仕事の締切に追われる夢を見る。夢の中では真っ青だ。「こんな仕事頼まれてないよ。予定表にもない……」と、夢であることがわかっていながら、アイデアが浮かばず頭を抱える自分がそこにいる。

 私にとっては、いま引き受けている仕事がすべてなのだ。そして、それに対して常にパーフェクトであろうとしてきた。私がもし、マーケティングに根ざした「デザインとしての装幀」ではなく、装幀という芸術作品はこうあるべしという「概念としての装幀」に囚われていたら、とても40年も続けてこられなかったと思う。

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