なぜビジネスが
「人類の幸せ」を考えねばならないのか

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今回は「人を幸せにするビジネス」について考えてみたい。また、「世界中の人々を幸せにするビジネス」には何が必要かも考えよう。そもそも「幸せ」とか「幸福」という言葉を使う時、私たちは何を思い描き、何を実現しようとしているのだろう。そして、国際社会の大きな動きの中で、なぜいまそれが重要であり、経営者にとって喫緊の課題となっているかについて明らかにしたい。

だれもが認める価値としての幸福を構成する要素

前回は、本連載のスタートに当たり、私自身が外務省や国連にいたこと、そしてその経験をもって公共政策と民間投資を結びつけようとしていることを紹介した。さらに、自分が生業としているコンサルティングの目標の一つが「日本の会社の組織経営の中に普遍的な価値を具現化する」ことであると述べたが、この「普遍的価値」という言葉はモンスターだ。普遍的というのはあまねくどこにでもあり、誰にとっても正しいということであるが、果たしてそのような価値が存在するのか。あるとしたらそれはどんなものなのか。

田瀬 和夫
デロイト トーマツ コンサルティング
ディレクター

日本経済と国際機関・国際社会の「共創」をテーマに、企業の世界進出を支援し、人権デュー・デリジェンスをはじめとするグローバル基準の標準化、企業のサステナビリティ強化支援を手がける。1992年外務省に入省し、国連政策・人権人道・アフリカ開発・国際機関拠出金・人間の安全保障などを担当したのち、2004年に国際連合人道問題調整部人間の安全保障ユニット課長。大阪大学招聘教授。

 生きるのがプラスで死ぬのがマイナスなのは、ほとんどの人に当てはまる尺度だろう。もちろん死生観は時代や文化によって異なるが、人類のほぼすべてにとって生きることが何より大切なのは疑いがない。同様に、快適がプラスで苦痛はマイナス、満腹がプラスで空腹はマイナス、健康はプラスで病気はマイナス。ただし、少数の人間がプラスを得ようとすると暴力や圧政や戦争が起こる。人類がその教訓から到達したのが、多くの人のプラスを実現する「平和」「自由」「人権」といった概念だ。

 確かにこれらは国連憲章においても普遍的な価値として掲げられている。しかし、それだけで幸せの十分条件といえるだろうか。

 日本は戦後70年、平和を維持し、驚異的な経済発展を遂げ、自由と人権の実現を追求してきた。識字率は100%近く、物質に溢れ、どこへでも移動でき、空腹な人も少ない。東京は人類史上、最も多様な食材を最も美味く食べることができる街だ。

 一方で、日本ではいまだに年間で約25,000人が自殺する。家族の絆やコミュニティの輪は空虚なものとなり、いじめや子どもを狙った犯罪がはびこる。満員電車の顔は笑っておらず、鬱になり、高度医療に身を委ね延命が行われる。手放しで幸せとはいえない。

 それならば、こういう成熟しながら歪む社会でも、開発途上の社会でも共通して幸福を構成する要素は何だろう。

 例えば、多くの親にとって子どもの未来は自分の人生よりも重い。人は他人の幸福を自分の生きる目的とさえすることができる。これを「愛」と呼ぼう。この世で最も強いものの一つは愛であり、いかなる逆境でも「最後に愛は勝つ」。人によっては愛が人生のすべてだ。逆に愛する者を奪われた人をもう一度幸福で満たすことはほとんど不可能といえる。東日本大震災で子どもを失った人、シリア内戦で家族や友人を失った人などは魂の一部を失ってしまっている。そのような人たちを救い支えるのはきわめて難しい。どんな社会でも、人間にとって愛が幸福の一要素であることに異を唱える人はいるまい。

 あるいは、ベートーヴェンにとっての音楽やアインシュタインにとっての科学など、人が人生をかけて追究して止まないものがある。ビジネスパーソンにとって経済と経営は人生の手段ではなく目的にさえなりうる。

 そしてこれらをもっと一般的にいえば「生きがい」という言葉にたどり着く。子どもの将来が生きがいである人もいれば、誰にも知られずともいい絵を描くことが生きがいである人もいる。そうして往々にして、唯一無二の生きがいを持っている人にとっては、他に何もなくとも人生は実り豊かなものとなることが多いようだ。

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