遠回りに思えた道のりが最短距離だった
ISS運用で乗り越えた大きなハードル
——JAXA有人宇宙ミッション本部・伊藤剛

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国際宇宙ステーション(ISS)最大の実験棟「きぼう」をはじめ、日本の宇宙事業が発展を遂げる裏には、宇宙飛行士はもちろん、彼らを支えるスタッフの存在がある。第6回・第7回では、「きぼう」の開発に携わり、運用の立ち上げをリードしたJAXAの伊藤剛氏が、その舞台裏や宇宙開発の魅力を語る。(構成/新田匡央)

小学生からの夢を叶えて宇宙開発の道へ

――まずは、伊藤さんがこの仕事に就いたきっかけを教えてください。

伊藤剛(以下略) もともと、宇宙には興味を持っていました。小学生のときに無人惑星探査機ボイジャーが木星に接近し、その写真に衝撃を受けたことも大きなきっかけです。「自分で探査機を飛ばして、地球の外のことを見たい」。そんな想いが強くなり、親に頼んで天体望遠鏡を買ってもらいました。宇宙に関する本も探していて、その時にたまたま見つけたのが、宇宙開発事業団(NASDA、宇宙航空研究開発機構[JAXA]の前身)がつくった本でした。

伊藤 剛(いとう・つよし)
JAXA 有人宇宙ミッション本部 有人宇宙技術センター 技術領域リーダ
東京大学大学院工学系研究科精密機械工学専攻修士課程修了後、1997年、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)入社。同年から15年以上にわたり、日本の国際宇宙ステーション「きぼう」プロジェクトに従事。日本初の有人宇宙施設「きぼう」の各種機器の開発、NASAとの国際調整、全体システムインテグレーション、運用準備を担当。2008年の「きぼう」打上げ以降、フライトディレクタとして「きぼう」の運用管制を指揮。2012年から有人宇宙技術センターの技術領域リーダとして、「きぼう」の実験装置開発、将来の有人探査に向けた技術研究を統括。

 当時からアメリカ航空宇宙局(NASA)は有名でしたが、日本の宇宙機関はまだほとんど知られていない時代です。「日本にもNASAみたいなことをやっているところがあるんだ」と知ったことで、漠然とではありましたが、大きくなったらそこで仕事がしたいと思っていました。

 宇宙への想いはその後も色褪せることなく、中学、高校、大学と天文部に入ることで続いていきました。きっかけがボイジャーだったので、遠い宇宙の探査に興味を持ち、惑星の写真を撮ることに夢中になっていましたね。でも、大学では精密機械工学を専攻しました。航空宇宙系の学科や天文学系の学科は人気があり倍率もレベルも高く、簡単に言うと入れなかったのです。

 それでも、宇宙関係以外の仕事に就職しようとは考えませんでした。三菱重工業、当時は宇宙航空部門があった日産自動車、それとNASDAしか受けていません。そういう意味では、小さいころに思い描いていた夢が現実になったので、周囲からは「幸せな人ですね」と言われます(笑)。

――子ども頃の夢を叶えられたのは幸せである一方で、好きなことが仕事になる辛さもありませんか。

 そこは悩んだところです。 最初に配属されたのが国際宇宙ステーション(ISS)を担当する部署でしたが、実際に担当した仕事といえばメーカーとの頻繁な打ち合わせと長い議論、社内調整用の膨大な資料作成ばかりでしたから。

 さらに言えば、宇宙開発の仕事には、登場人物が非常に多いという特徴があります。とくにISSは、NASAをはじめ、ロシアやヨーロッパの宇宙関連機関はもちろん、ロケットや「きぼう」という有人施設などを製造する国内メーカー、運用に携わる会社など、さまざまな機関や会社とつながる大規模プロジェクトです。また、JAXA内部でもさまざまな職種のスタッフが多数関わっています。そうした人々をうまく取りまとめ、チームとして同じ方向を向いて仕事をしてもらうのは、非常に根気のいるものでした。

 入社から十数年間、私は日本の実験棟「きぼう」の開発に従事してきましたが、ISSは、開発段階が終了すると運用段階に入ります。開発に従事していた多くの者は、運用段階に入るとともに運用セクションに異動しなければなりません。私は、その先駆けとなるために設置された、運用準備を担う部署に異動しました。しかし、ここでも壁に突き当たってしまいます。

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