種子島の職人から学んだ「ロケット屋魂」
現場も役所も一体となって宇宙を目指す
——JAXA有人宇宙ミッション本部・佐野伊彦

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国際宇宙ステーション(ISS)最大の実験棟「きぼう」をはじめ、日本の宇宙事業が発展を遂げる裏には、宇宙飛行士はもちろん、彼らを支えるスタッフの存在がある。「きぼう」の開発にも携わった佐野伊彦氏はその一人だ。ロケット打ち上げの最前線である種子島宇宙センターや、JAXAで最もハードな部署と言われる「予算課」にも所属した佐野氏が語るチームワークとは。(構成/新田匡央)

種子島の職人から学んだ「ロケット屋魂」

――前回よりもう少し遡ってお話を聞かせてください。佐野さんは、なぜこのお仕事を選ばれたのですか。

佐野伊彦(以下略) 子どものころから、将来はものをつくる仕事に就きたいと思っていました。ちょうど宇宙アニメが全盛のころで『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』に夢中になり、SFの本も好きで読んでいました。そのときから、漠然とではありましたが、宇宙に関わる仕事ができればと思っていました。

佐野伊彦(さの・ただひこ)
JAXA 有人宇宙ミッション本部 宇宙環境利用センター CALETプロジェクトチーム ファンクションマネージャ
早稲田大学大学院理工学研究科建設工学建築構造学修士課程修了後、1993年、宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構)入社。同年、種子島宇宙センター機械課に配属され、機構系射点設備の保全・運用、JEM曝露部・与圧系の開発等を担当。2003年に経営企画部予算課(現・推進課)に異動し、宇宙航空研究開発機構(JAXA)全体の予算折衝とりまとめを担当。セントリフュージプロジェクトチーム、HTVプロジェクトチームを経て、2010年にCALETミッションチームに配属。2012年よりCALETプロジェクトチームファンクションマネージャとなり、現在に至る。

 ただ、それから宇宙に向けてまっしぐらだったわけではありません。大学では建築構造を専攻し、卒業したらビルや橋をつくることを考えていました。しかし、就職活動をするにあたって、子どものころの夢にチャレンジしてみようという思いが湧き上がったんです。

 私はいわゆる「宇宙オタク」ではありませんでしたが、月面基地やスペースコロニーなど、人が宇宙で住める施設をつくりたいと考えていました。ダメならそれでもいいやと思いながら試験を受けたら無事に合格して、宇宙航空研究開発機構(JAXA)の前身である宇宙開発事業団(NASDA)に滑り込みました。

――最初に配属されたのが種子島宇宙センターと聞きましたが、そこではどのような仕事をされていたのですか。

 種子島宇宙センターは、日本最大のロケット発射場です。そこではロケットの組立設備や運用設備のメンテナンスを担当しました。塩害のために錆びてしまう設備や、ロケットを打ち上げるたびに塗装ごと焼けてしまう射点を元通りにする作業を、現地の協力企業と一緒に取り組んでいました。

 当時は新人研修の意味合いも強く、事業団側も「まずは現場に行ってこい」という感覚だったと思います。建築が専門の私は、同期に比べて、宇宙に関する知識があまりにも乏しかったので、本当にやっていけるのか不安でした。

 ただ、種子島は狭いコミュニティなので、休日も一緒にテニスをしたり、その後一緒に飲んだりしながら、家族づきあいに近いコミュニケーションがあり、そのなかで仕事を覚え、鍛えられたと思います。宇宙関連事業は開発のフェーズ、その時々の状況によっても作業が違うので、とにかく現場に入って見たこと聞いたことを肌で覚えていきました。

 種子島宇宙センターには、古くからいる職人気質の先輩がたくさんいました。敬意を込めて「ロケット屋魂を持っている」と私は言っていますが、全員で新人の面倒を見てくれる環境です。体系的に教えてもらうというよりも、起きたことを自分のなかで体系化し、足りないところを自分で勉強しながら補っていく姿勢を学びました。

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