課題設定とは何か〈1〉

米国の課題に振り回される時代は終わった

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グローバリゼーションとは何か――それは、「日本に世界が浸み込んでくる」「日本が世界に浸み出していく」ことだ。この意味を真に理解するならば、「課題先進国」といわれる日本が今取り組むべきことが見えるはず。それには、課題もその設定も解決もすべて「ある状況に特定のものである」ということを考え抜かなければならない。

特殊解でしかない経験則を一般理論化する
経営学の「無理」

――少し前から日本のことを「課題先進国」というようになりました。最近では「課題解決先進国」という言い方もされますが、日本がうまく課題設定をして、世界に向け解決策を示しているとは思えません。

 最近の風潮として、「課題先進国」だとか「課題解決先進国」という表現を常套句のように使うのはとても気になります。その意味を突き詰めることなく、御題目のように使うのは、自分の頭で考えていないということです。日本が「課題先進国」であるのは「超高齢化」など一部の分野だけです。

横山禎徳
東京大学EMP 特任教授

――横山さんは、かねてより、日本に最も求められるのは「課題を設定する力」であるとおっしゃっていますね。いったいそれはどういうことなのですか。

 まず皆さんに理解していただきたいのは、課題もその設定も解決もすべて「ある状況に特定のものである」ということです。

「今」「ここ」「この状況」「この場合」における課題をどう設定するか、そしてどう解決するかを考え抜く。つまり、課題設定とは、常にシチュエーション・スペシフィックなものであり、解決策もすべては個別解である、ということを肝に命じるべきでしょう。

 したがって、ある分野でのある状況下で行った課題設定や課題解決がうまくいったからといって、それを一般化したり普遍化したり、はたまた拡張して使うことはできません。日本人の私が、今の日本が置かれている状況の中で考えることが、そのまま世界に通用するという保証はどこにもないのです。

――世の中は、それほど単純ではないということですね。

 経営やマネジメントにおいては、「ある国の、ある企業の、特殊な事情の下での、この工場で……」という前提で課題設定が行われ、解決策が実行されます。それは、その工場での課題解決であり、他の企業の他の工場で再現性があるかどうかはわかりません。個別の状況に合わせて作り直すことが必要でしょうし、場合によっては全く使えないということもあるでしょう。

 それなのに、その工場での課題や解決策がどこでも成り立つかのように錯覚してしまう。一つの成功例という特殊解を幅広く使える一般解とつい言いたくなるのでしょう。そうすれば影響力を持てるからです。

 しかし、実際はそれぞれの特殊解でしかありません。例えば、有名なトヨタのカンバン方式はどの事業分野でも、あるいはどの工場でも同じように成り立つわけではありません。

――経営理論やマネジメント手法を金科玉条のごとく守っても、自社にとって有効かどうかはわからないということですね。

 自然科学の学問的アプローチでは、普遍性と再現性が何よりも重視されます。しかし、経営学はそこまでの厳密さを要求しません。非合理な人間の判断や行動を扱っている経営学はそもそも自然科学ほど厳密な学問ではありませんから。

 経営学において限られた条件下の単なる経験則が時代を超えた一般理論のようにいわれ、まかり通ってしまうことがありますが、これは危険です。

 経営コンサルティングの経験を通じて私がたどり着いた一つの帰結が、「課題設定」は常にシチュエーション・スペシフィックなものとして考えなければならない、という教訓です。一般論は参考にはなっても、個別企業の具体的行動には結びつかないのです。

 それだけでなく、社会のそれぞれの領域で専門分化が進み、その一方で産業や学問の領域間で相互連鎖が進んでいっている複雑かつダイナミックな新しい環境ではどこでも通用するような、普遍的な課題設定がそう簡単にできるとは思えません。

 十把一絡げにして扱えるような課題は、今の時代にはないと考えるのが現実的です。例えば、地球温暖化という現象に対しても日本の課題設定はアメリカや中国とは違うのです。

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