エバーノート日本法人会長 外村仁氏に聞く
「フィル・リービンの入社面接は
お寿司屋さんだったそうです」

DHBRインタビュー [前編]

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本誌2013年12月号(11月10日発売)でも取り上げたエバーノート。同社日本法人会長の外村仁氏へのインタビューを2回にわたってお届けする。前半の今回は、外村氏がエバーノートに加わるまでの経緯を伺った。

最初はこんなになるとは思っていなかった

編集部(以下青字):エバーノートと出会ったきっかけは何だったのでしょうか。

外村(以下略):私は元々、いろいろなスタートアップのアドバイザーをしていました。そのひとつにEye-FiというWifi付のSDカードを作っているベンチャーがあったのですが、その隣にオフィスを構えていたのがエバーノートだったのです。Eye-Fiとエバーノートのファウンダー同士は仲が良く、そうした繋がりからCEOのフィル・リービンと事業開発担当VPのアレックス・パチコフを紹介してもらったのが、最初の出会いでした。

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外村 仁
(ほかむら・ひとし)

エバーノート日本法人会長。1963年生まれ。東京大学工学部卒業後、ベイン・アンド・カンパニーを経て、1992年よりアップルコンピュータ社。同社マーケティング本部長等を歴任した後、INSEAD(フランス)、IMD(スイス)で MBA を取得。2000年にシリコンバレーでGeneric Mediaを共同創業。その後はスタートアップ・アドバイザーとして活躍、2010年より現職。シリコンバレー日本人起業家ネットワーク(SVJEN)の初代代表。Open Network Labのメンターも務める。


――その時のエバーノートはどのような会社だったのでしょうか。

 便利そうなサービスは何でも試す私は、エバーノートの存在は知っていました。しかし、正直に言って、ここまで大きくなるとはその時は想像もしていませんでした。エバーノートは元々、アレックスの父親であるステパン・パチコフというロシアの科学者が創業した会社でした。ステファンは、当時のアップルコンピュータ社が開発した世界初の携帯情報端末(PDA)<ニュートン>に搭載されていた手書き文字認識ソフトの開発者で、アップルにライセンスを提供していました。エバーノートにはその会社にいたキーなエンジニアの大半がいまだにいるのです。ただ、ステパン自身は技術志向であったため、正直なところあまりユーザー層が広がらない会社でした。それを理解していたステパンが新しいCEOとしてスカウトしたのが、フィル・リービンです。

――エバーノートとはどのように関わってきたのですか。

 エバーノートのユーザーが世界で100万人いるかどうかといった頃、フィルの方から日本人の私に、「日本でユーザーが徐々に増えてきているのだが、どうしてだろうか」と尋ねてきたのです。だから私は「日本社会は書類が多いし、そして日本人は整理整頓が好き。今は、数人のコアなブロガーがエバーノートを熱心に勧めている状況。便利で分りやすいサービスだったら、YouTubeやTwitterのように日本語版がなくてもヒットした例もあるよ」と答えました。すると、ぜひアドバイザーになってもらいたいと頼まれ、結局、日本のパートナー戦略や広報に関して、週1のペースで手伝いをすることになったのです。スタートアップは資金が潤沢でない上、速く決断してすぐ動く必要があるので、その道の経験者、専門家をフルタイムで雇うのではなく、アドバイザーとして時間の一部買いをすることは、シリコンバレーでは極めてよく行われているのです。
 そして2009年10月。当時エバーノートを愛用してくれていたコアなブロガーやITジャーナリストに厳選してお声がけして「豚組 しゃぶ庵」(六本木)の個室に集まっていただき、そこでフィルとアレックスを初めて紹介、そこで日本への熱い思いをプレゼンさせました。今ではそれが「伝説のディナー」と呼ばれ、エバーノートの日本での成長はあの部屋から始まった、なんて言われています。実際、これをきっかけに目に見えてユーザーが増えだしたのです。

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