自分では認めたくない感情が湧き上がった時

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危機や災害が起こると、人々の胸の内にはさまざまな感情が湧き起こる。なかには不謹慎に思えるものがあるかもしれない。しかしブレグマンによれば、健全な自我を保つには、他者の心中を気遣うあまり自分の感情を押し殺すのをやめるべきであるという。


 2012年のことである。ハリケーン・サンディは東海岸を猛スピードで進んでおり、ニュースは緊迫した状況を伝えていた。これまで米国北東部を襲ったハリケーンのなかで、おそらく最悪のものとなるだろう。超大型で速度が遅いうえに、西からの冬の嵐と北からの冷たい空気がぶつかり合って、満潮時の陸地を襲う。こうした複合的な要素が相まって、破壊的な洪水がもたらされ、数百万戸が停電の被害を受けるかもしれない。損失は何十億ドルにも及ぶだろう。死者も出るやもしれない。

 それなのに、うちの子どもたちは大はしゃぎだった。月曜は学校が休みになると知ると歓声をあげ、何をしようか――テレビをどれだけ見ようか、キャンディーをいくつ食べようか――と計画を立て始めた。みんなで食料品や必需品を買いに出かけ、水を用意し、部屋にはろうそくを備え、近所に声をかけた。そのあいだ、子どもたちはずっと興奮してはしゃいでいた。私たちはニュースに耳を傾け、インターネットでハリケーンを追跡した。街はハリケーンに備える人びとで騒然としていた。

 一夜明け、ハリケーンは本当に大惨事をもたらしていた。コンピュータを立ち上げると――停電しなかったのは幸運だった――トンネルが水浸しになり、ロッカウェイでは、大規模な火災によって50戸もの住宅が被害を受けていた。停電は数百万戸に及んでいる。ウェストチェスターで木が倒れ、家の中にいた13歳と11歳の少年が亡くなったらしい。この記事を読んだ時には、涙がこぼれた。

 それでも、このブログを書いている私の耳には、書斎の外で氷鬼やかくれんぼをしながらはしゃいでいる子どもたちの声が聞こえる。臨時の休日を楽しんでいるようだ。子どもたちの声は、こんな時でも私を微笑ませる。

 簡単には説明できないが、1度に抱く感情は1種類ではない。痛みと喜びの両方を、程度の差こそあれ、同時に感じているのだ。ややこしいことに、私が感じる喜びは、惨事を免れた安心感によるものではない――もちろんそういう気持ちがないと言えばウソになるが。ハリケーンがもたらした惨事への悲しみと、この日を子どもたちと過ごせる幸せの両方を感じている。

 こう書いている自分は、冷淡だと思う。

 だが、これが実際の感情であり、生きていることの現実である。1つの出来事はしばしば、相反する感情を引き起こすものだ。

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