コミュニケーションの「体裁」に騙されるな

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日常生活で人をわずらわせる、さまざまな負の感情に焦点を当て処方箋を示してくれるブレグマン。今回は、不器用なコミュニケーションへの対処法を提案する。


 その夜、妻のエリナーと外食をしてから家に戻ると、ベビーシッターのレスリーが泣いていた。

「子どもたちに何かあったのかい?」と私が尋ねると、「いえ、子どもたちはずっと寝ていました。子どもたちが原因ではありません」とレスリーは言う。

「じゃあ、何が起こったのか話してもらえるかな」と、私は再び尋ねてみた。

「彼がショートメッセージで、別れようって言ってきました」携帯電話を抱きしめながら彼女は言う。ネッドという男性と数週間前からデートを重ねていて、最近付き合うことになったようだ。突然のお別れのメッセージは、彼女にとって完全に予想外のものだった。

「え、ショートメッセージで?」私は驚いた。ネッドという男性には一度も会ったことがないが、そのような思いやりのないやり方に、腹が立ったのだ。

「彼が別れたいって言ったの?」妻エリナーが尋ねた。その先をもっと知りたいようだ。

 エリナーがそう尋ねた時、私はすぐに自分の過ちに気がついた。デリケートな話題に触れる時に、多くの人々が犯す過ちだ。そして大抵の話題はデリケートになりうる。

 私たちは往々にして、メッセージの内容よりも「体裁」に注意を奪われる。コミュニケーションの方法・媒体が変であると感じると、気になってしまい内容が頭に入らなくなるのだ。

 これはコミュニケーションの方法だけではなく、声のトーンにも同じことがいえる。怒鳴り声、嫌みっぽい口調、あるいは特定の言葉づかいによって、メッセージの真意が歪められる。たとえば、「どうしてそういう結論になるの?」という素朴な質問でも、言い方によっては反論、非難、支持、好奇心の発露などさまざまに響く。

 ネッドがレスリーに送った別れのメッセージについて、私は体裁のほうに焦点を当ててしまった――別れる時に、ショートメッセージを使うなんて最低だと思ったのだ(念のため、これはあくまで私見にすぎない)。しかしエリナーにとってはそれ以上に、ネッドからのメッセージそのものが重要だった。

 メッセージの「体裁」と「内容」の取り違えは、組織にとっては弊害となり、生産性を妨げる。数カ月前に新たな職場で働き始めた友人マルコムから聞いた話では、彼はeメールを書くのが怖いそうである。

「まるですべてが、政治みたいだ」とマルコムは言って、同僚の口調をこう真似た。「なんであの人にCCしたんですか? 私にCCをしなかったのはなぜ? 予算の話を持ち出したのはどういうわけですか?」そして宙を見つめしばらく思いにふけった後、こう言った。「正しいコミュニケーションのやり方を考えるのに、時間の半分を使っているよ。なんていう無駄だろう! 率直に言って、コミュニケーションを一切しないほうが簡単だし賢いんじゃないかな」

 本当の問題は、こうだ――私たちは誰しも、コミュニケーションが不器用である。発信する時も、受け取る時も。

 人々の文化や宗教、地域、性別、年齢、言語、社会経済における多様性を考えると、私たちがわずかでも理解し合えるのは奇跡のようなものではないか。したがって、私たちが周りの人々に対して困惑を覚え、動揺し、失望し、疑いを抱き、腹を立てるのは無理もないのだ。

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