Y世代は、不可解な「Why」世代?

 最近、ある恩師と久方ぶりに再会できた。30年前に私が学生だった頃と変わらず、彼女が今も子供たちの教育に情熱を注いでいることを知り嬉しく思った。楽しい会話ができたが、次の世代についての彼女の意見を聞いて心がざわついたことも事実だ。

 Y世代(1970年代後半~2000年代初頭生まれの世代)の学習意欲は、それ以前の世代と比べると低く、大きな夢も野心も持っていない。彼らの価値観は、その場限りの満足感を求めるものだ――そう彼女は感じていたのだ。子供たちに近道をさせようとする親たちを非難しながら、今後20年にわたってY世代のあいだでは意欲の低下、品位の欠如、社会不信が見られるだろうと先生は語った。

 この会話に私は考えさせられた。Y世代は――ほかの世代と同じように――過小評価されるはめになるのだろうか? ベビーブーマー世代が何十年も経験してきたのと同じように。私は先生のY世代に対する意見をツイートし、他の人たちにこのような質問を投げかけた。

 若者たちは、私の世代とは大きく異なっているというだけの理由で誤解されているのではないか――私にはそう思えてならない。Y世代の人々は、iPodで音楽を聴き、友人とテキストメッセージをやり取りし、課題提出の期限が迫っていてもネットでチャットをする。彼らにとってフェイスブックで近況を更新することは、家族に話しかけるのと同じくらい大切だ。しかし、だからといってY世代は感性が鈍く、野心がないと結論付けてよいのだろうか。

 Y世代が、唯々諾々と従うのではなく疑問を呈することが多いという事実を見過ごしていないだろうか。両親たちに疑問をぶつけながら育った彼らは、いま雇用主に疑問を投げかけている。自信の現れを熱意の欠如と取り違えてしまっていないだろうか。近道ばかりを求めることのマイナス面については私も危惧しているが、その責を負うべきは親であり、子ではない。

 Y世代には、紋切り型の成功の定義に従わない気概ある人たちがいる。時代遅れの教育制度によって創造力と好奇心に水を差されることのない、芯の強い人たちがいる。情報と教育の違いを理解しているグーグル世代だ。どうしてそのことにワクワクしないのだろうか?

 不安の種は恩師との対話だけではなく、その後『ニューヨーク・タイムズ』紙で、ある小学校の試みに関する記事を目にした。人と交わる能力が育まれる貴重な休み時間が、「休憩監督」によって管理されるというのだ。それを読んで本当に心配になった。

「Why」世代のように、私も答えるより質問するほうが好きだ。だから、こう尋ねたい。私たちは、オンラインとオフラインの境界線を突破したY世代の特異性を十分に評価しているだろうか? 彼らが自分たちと大きく異なるということを、私たちはどうして恐れるのだろうか? 私はまだY世代に希望を抱いているが、あなたの考えを聞かせてもらいたい。


原文:Do We Get Gen "Why"? May 20, 2010
 

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