「ドラえもん亡国論」
将来のリーダーシップを問う

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リーダーシップの強敵あらわる

 次代を担う子どもたちは、どれほど豊かなアイデアを持っていると思いますか?

 光村図書小学2年生国語の教科書には、「あったらいいな、こんなもの」という単元がある。子どもたちが、想像力を働かせて考えた夢のアイデアを人前で話し、それをお互いに聞き合うことを意図しているという。

 そこで出されてくる子どもたちの夢はといえば、「空を自由に飛べる道具」とか、「なんでも出てくる装置」とか、「宿題をやってくれるロボット」とか、だいたい似たり寄ったりだ。アイデアは、ほとんど『ドラえもん』化している。

 『ドラえもん』化のなにが問題なのか? それは、アイデアが独創的でないということではない。一言でいえば、「便利であること」だけに、自分たちの意識が向いていることだ。コンビニエンスの発想しか浮かばないのである。

 そこには、苦労をしても、新たな価値観を創造したり、自ら道を切り開いていく力強さはない。便利さに慣れてしまうと、自分は汗を流さず、なんでも思った通りのことを、文句ひとつも言わないで実現してくれる『ドラえもん』がほしくなるものだ。

 もし、小学生全員が、のび太のように、「自分にもドラえもんがいればいいのにな」と思っていたとしたら、この国からリーダーシップが生まれるというのは期待薄だ。『ドラえもん』のような便利な執事役は、リーダーシップの強敵である。リーダーシップの国アメリカでは、『ドラえもん』のアニメ放映権契約が結ばれていながら、放映もビデオ販売もされていない。半ば意図的にお蔵入りにされているのは、なるほど象徴的である。

 2011年3月11日の大震災をきっかけにして、はっきりとわかってしまったことがある。それは、わが国にリーダーシップが欠如しているということだ。震災復興に向けての政府や東電などの動きを見ていると、肝心な場面で、リーダーシップが強く国民から求められていながら、リーダーシップが不在であることに気づく。

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